「性」という字は、「心を生きる」と書くのだ。
と、以前レスの問題で一番悩んでいた頃に、誰かのブログで読んだ言葉。
今、僕はレスの問題ではそれほど悩んだり、苦しんだりしていはいない。
相も変わらず、出会い系サイトを通じて悩める色んな女性とお話しをし、苦しむ気持ちを聞いたり、アドバイスしたり。
お相手が望めば、お会いして関係を持つこともある。
以前は、関係を持つ女性が居なくなることを不安に感じたりしていたが、それも今はあまり感じなくなった。
少しずつ、僕の「性」への執着も薄れてきているのかもしれない。
それにしても。
出会い系サイトに設置されている掲示板で日々、男性の声、女性の声を見ていると、相変わらずこの国では「性のこと」は「汚いこと、考えるべきではないこと、隠すべきこと、恥ずかしいこと」という扱いを受けていて、それについて悩むことを誰かに相談することも出来ず、「出会い系サイト」というアンダーグラウンドな世界でしか大っぴらに語ることが許されないことのようだ。
それでも、以前に比べれば随分と有益な情報にアクセスできることも増えたのだが、それはあくまで自分で情報を取りに行った場合に限られる。
取捨選択は、自分でしなければならない。有益な情報は限られていて、逆に底の浅い間違った情報は、ちまたに溢れている。
多くの男性は、自らの性欲のはけ口として女性を探し求め、多くの女性は自分が欲しているものを直視することなく、相手に与えられることばかりを求める。
「性の問題」は、心の問題と切っても切れない関係にある。
そのことを理解せずに表面上の欲求ばかり追い求めても、自分の欲しいものは手に入らない。
性の悩みを解決するためには、自分の心ときちんと向き合う必要がある。

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