「誰でもいい」わけではなくて。

「レス」の克服
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5年に一回の、資格の更新研修のために、福岡に行った。

僕の住む街と違い、福岡は華やかでキラキラしている。

特にこの時期、夕方から夜になると博多駅の周りはイルミネーションが施されていて、それは華やかだ。

そして、福岡は若い女性が多い。

聞いたところによると、福岡都市圏の人口の男女比は女性の方が男性より多いらしい。

「女性の方が、余ってしまっている」という現象が福岡では起きていると聞いた。

日頃、土木の現場で仕事をしている自分からすると、まぁ別世界、いや、異次元と言っても過言ではない。

講習が終わって、すぐに自宅に戻るか、それともこの街の空気を楽しんでから帰るか、ちょっと悩む。

しかし、所詮は男一人。電車が空いているうちに、地元の街まで帰ることにした。

が、何だかモヤモヤする。それは、普段目にしない女性の姿を目にして、僕の中の「オス」のスイッチが入りかけている感じ。

電車の中で、少し悩む。戻ってから、風俗に行ってしまおうか、という気持ちが頭をもたげてきたからだ。

先日記事に書いたように、「肌に触れること、肌を合わせること」については相手がいないと解消されることがない。それを我慢するのは1か月くらいが辛抱の限界だ、と妻に手紙を書いた。

しかし、妻からは何のレスポンスもない。完全に「黙殺」された感じ。

手紙を渡した当初は、返事もレスポンスも要らない、と思っていたが、それは強がりだったかなぁと思う。

実際には、何らかの変化、対応が欲しかった。せめて「私はこう思っている」という返事くらいは。結局、アマノジャクなのだ。

「こっちが”限界だ”って言ってるのに、何も動いてくれないのなら”他の女性”を求めてしまうぞ!」と思ってしまう自分がいる。

「フルコース」でなくても「見て、触る」程度なら仕方ないじゃないか。そんな風にも思う。

でも、電車が駅に近づくと、その声は小さくなっていく。「本当にそれでいいのかよ」と。

試しに、いくつか店を検索してみる。顔を隠した女性の文字通り”悩ましい”姿の写真。でも、全然高揚してこない。

分かっているのだ。お金を払って肌を合わせても、そこに喜びなどないことを。気持ちの通った行為を超えるものなど、得られないということを。

結局、「誰でもいい」訳ではないということなのだ、と。

 

 

 

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