ちょっと前にも記事に書いたが、レスの問題についてはネット上でも書籍などでも、有益な情報が得られるようになったにも関わらず、拒否する側・される側ともに苦しんでいる人はまだまだ多いようだ。
僕は、自分が「拒否される側」しか経験していないから、「拒否する側」の苦しみや辛さを代弁することは出来ない。推測することしか、出来ない。
だから、拒否される側の気持ちの動きしかお伝えすることは出来ない。
パートナーにセ○○○を拒否されたとき、「セ○○○が出来ないから腹を立てている」と、拒否された本人も、拒否する側も思っていがちだけれど。
僕も、当時はそう思っていた、けれど。
自分の気持ちにきちんと向き合ってみると、実はそうではないのかなぁ、、と思う。
「できる」「できない」ではなく、「向き合ってもらえない」「大事にしてもらえない」「自分のことを考えてくれない」という部分が耐えられないほど腹立たしい。悔しい。悲しい。
そういうことではないかなぁと思う。
拒否される側が本気で、セ○○○レスの苦しみから自分自身を救い出したい、そこから抜け出したいと考えるのであれば、「できなかった」ときに自分が何に憤り、何に悲しんでいるのか、そこに気付くことが大事じゃないかなぁと思う。
それが分からないと、その怒りを収めることが出来ないから。感じている怒りを、自分自身が的外れな方向に捉えてしまうことで、怒りはますます増幅する。
そして、自分自身の中に「パートナーに自分に向き合って欲しい」という正直な気持ちがあることを、受け止める必要がある。
しかしこれは、あくまで、拒否される側がすべきこと。
そしてこれは、拒否する側に理解してもらおうとは考えない方がいい。
相手は相手で、自分自身の気持ちと向き合うのに必死な状況なのだ。僕たち拒否される側の気持ちにまで関心を寄せるほど、彼女、彼らに余裕はない。
余裕がありそうに見えたとしても、その瞬間、「性」的な雰囲気になりそうな瞬間には、余裕がなくなっているのだ。
僕らは僕らの怒り、悲しみに、自分で向き合うほかはない。
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