「レスになってからが本当の夫婦」への個人的な見解

「レス」の克服
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以前、松本人志さんのテレビでのコメントに対して、こんな記事を書きました。

「レス」だから本当の夫婦、ではない。

そのとき「夫婦お互いが、レスという問題から目を逸らさずにきちんと向き合い取り組んだ結果」ではないか、と書いたのですが、それについて補足したいと思います。

レスの問題については、「何とかしよう」と夫婦で取り組んで解決する方ばかりではありません。片方は相手の苦悩に気付かずに、片方だけが苦闘し続けて、その結果苦しんでいた方が自分を苦しめている心理的な要因に気付いて、それを乗り越えていく場合もある。

「夫婦お互いが取り組んだ結果」というのは、以前拒否される立場にあった僕から見た「理想論」であって、レスで苦しむ世の中の夫婦全てが、「お互い努力」してこの問題に向き合えている訳ではないのだ、という視点が抜けていました。

「そういう面もあるかも」と僕が感じている部分。それは、どんな経過を辿ってきたにせよ、「性愛」が絡まない状態で、それでも男女がお互いに愛情を持って生活を共に出来る状態というのが、夫婦の関係としては一番強い状態なのかもな、ということ。

正直言って、僕にとってこれまで僕は妻との夫婦関係は「性的な関係があること」が前提で成り立っていたと思います。

でもお互いに年齢を重ねてきて、「性愛」があることが前提なのもあと何年だろうか、と考えたときに、それでもお互いがお互いを必要とし、パートナーとして手を取り合っていくためには必要になってくる心構えが違ってくる。

少なくとも妻は僕との「性のこと」が無くても問題なくこれまで通り一緒にやっていけるのだと考えると、その変化が必要なのは僕の方なのだ、ということになります。

「性のこと」が無くても、手を取り合って生きていけるためには、「性のこと」が無くても、相手を愛することが必要になる。

そういう意味で、「レスになってからが本当の夫婦」というのは、ある意味核心をついた発言だなぁと感じるのです。

結婚したばかりの頃、僕たちは「チャーミーグリーンのCM」のように、歳をとっても手をつないでいられる仲良し夫婦で居たいね、という話を良くしていました。

それはまさに、「本当の夫婦」を彷彿とさせる姿。

色々あった結果、もう一度そこを目指していければいい。そんな風に思っています。

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