「人間失格」かもしれない。されど、それも「人間」のなせる業

「レス」の克服
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以前、こんな記事を書きました。

【レス、克服への道】無理に「許す」必要はない。「許される」必要もない。

このブログは当初、レスの問題に関する自分の失敗や、経験、考えたことを記事に書くことで、僕と同じような「失敗」をする人を減らしたい。レスのことで苦しむ人を減らしたい、そんな思いから書いていました。

しかし、レスのことと夫婦間のトラブルのことは切っても切り離せない問題で、このところは男の「浮気」や「男心」みたいな内容にシフトしてきています。

そんな中で、複数の読者の方からいただいたコメントにあったのが、「人間失格」と言う言葉。

「パートナーがいて、苦しんでいるのに浮気をするなんて、人間失格だ!」

確かに、そうかもしれない。

少なくとも、普通の「倫理観」からすれば。

でも、何となく、「そうですね」と言えない自分がいます。

なんでなんだろう?

このブログを書いていて、人間という生き物は本当に「一筋縄ではいかない」なぁと思うようになったからかもしれません。

ある人からすると、「正しい」ことが、他の人にとっては「間違っている」ことって、よくあります。その逆も、またしかり。

いや、「浮気をしたから人間失格!」というのは間違ってはいないんです。それどころか、正しい。正論です。

でも、「それでも、それをしてしまうのも人間」なんです。

パートナーが、自分が「酷い」と感じるような行動・言動をとった時。された側は、「悪いのはあの人なの!ねぇ、あの人が悪いの!」と、ついつい相手への「悪い認定」をして欲しくなるものです。

でもね、どれほど「そうそう、あいつが悪い!」と賛同をもらったところで、相手から何か納得のいく譲歩や行動を引き出せるわけではありません。せいぜい、「悪かった」という”お詫びの一言”をもらえるかどうか。

それどころか、「いや、お前にも悪いところがあった!」とか、「この前謝っただろう!いつまで言ってんだ!」みたいな態度をとられたりすることの方が多い。

その時に、「私は正しい!」という感情にとらわれ過ぎてしまうと、怒りもその分増幅します。自分の意見が正論であればあるほど、余計苦しくなるような気がします。

それにね。「自分が正しい!」という怒りの裏には、「あいつがやっちゃいけないことをやってるのが許せない!」とか、「実は自分も我慢してるのに!」とか、「なんでこんな”悪いやつ”を好きになっちゃったんだ!」とか、自分でも認めたくない感情が渦を巻いていたりして、それを「そんなのダメだ!」と蓋を閉めて閉じ込めていたりもするもんです。それもまた、苦しみの元。

「人間失格!」という強い言葉の裏には、もしかしたら自分自身に課している「強い強い倫理観の縛り」があるのかなぁと、感じました。「こんなこと、しちゃいけないんだ!」「こんな自分じゃダメなんだ!」というような。あなたの中の小さな女の子が、「そんなことしちゃ、ダメんだんだもん!」と泣きながら怒っている。そんな風に。

相手に課そうとする「倫理観」は、同時に自分を縛る鎖にもなりうる。その倫理観が正しすぎると、自分自身も生きるのが苦しくなります。

「あいつなんて、人間失格よ!最低よ!、、、でもさぁ、人間なんてそんなもんかもね。」

すこし、緩めて考えてみても、良いのかもしれませんよ。

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